チーム食の輪

こだわりの百姓や八百屋、飲食店が
良質な食材をお届けします。

土を豊かにするということ。

肥沃という言葉があります。これは僕のイメージですが、肥料をたくさん投入して作るということではなく、枯れた植物を多様な微生物や小動物が分解して、その分解物を植物が吸収するといったモノの流れがある土壌、こんな感じです。
このような土壌で作物を育てると、元肥や追肥で植物の生育をコントロールする必要がなく(少なく)、僕は植物に任せたらいいと考えてます。土壌に十分量の養分があれば、植物が求めているときに必要量の養分を吸収するからです。言い換えると、土壌に米ぬかなどの有機物を供給するのは作物のためではあるんですけど、微生物や小動物を繁殖させるためであり、数が増えれば増えるほど、先ほど書いたモノの流れがスムーズに回りだします。物質循環、です。
それと土の中を様々な生き物が動いたり、植物の根が張って枯れると根穴ができます。動物や微生物の摂取や排泄などで土が団粒状になり、それが重なり合うことで細かな穴もできて、大小様々な空間ができあがります。つまり、空気や水の通路ができます。
肥沃な土とは、物質循環が成り立っていて、土の団粒構造が発達している土、といったイメージです。土が豊かになるとは、そういうことを意味していると僕は考えています。
実際、ハウス(雨除け)で栽培している僕のトマトは、1年目と比べて3年目を迎えた去年は格段に良好な生育でした。行っているのは、米ぬかなどを表土にまいて、高く育った野草を鎌で刈ってその場に積み重ねるだけ。土を耕さずに、有機物を表土に積み重ねるだけです。たったそれだけですので、作業がとてもシンプルです。露地栽培でも同じことだと思ってます。土が肥沃になってくると、野草の種類が変わってきます。1年目はイネ科の野草が多く生えていましたが、3年目は草丈の低い種類や匍匐(ほふく。地面を這っている)性の野草が大半を占めています。なので、土の肥沃度の指標になるでしょう。草刈りも簡単に済みます。これは想像ですが、あと数年したら草刈りはほとんど不要になるかもしれませんね。

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農薬を使わないということ。

私が栽培しているメインの作物はトマトです。このトマト、一般的には農薬を使わずに栽培するのは困難と言われています。果たして、そうでしょうか。2010年からトマトの栽培を始めましたが、1年目から農薬を使わなくても、美味しいトマトを収穫できました。収量に波ができて安定して収穫できませんでしたが、病気が広がることはなく、霜が降りる時期までなんとか収穫できました。2011年も同様に農薬を使わずとも病気はほとんどでませんでした。
これは一体、何を意味するのでしょうか。自論ですがおそらく、肥料や水分でトマトの生育をコントロールしようとして、そのコントロールが乱れた場合に病気などが多発するのではないでしょうか。言い換えると、トマトが求める養分が土壌に過不足なくあれば元気に育ち、結果として農薬が要らないのでは、と考えています。
お子さんがおられる場合、お薬に頼らないように自分の子供を育てようという意識で日頃世話をされてはいませんよね。元気に育ってほしい、その結果、「うちの子は風邪を引いたことがない」ってことですよね。植物でも同じことが言えるとおもいます。農薬を使ってません!という表現をする農家さんがおられます。その通りなんですが、農薬を使う必要がない、が本質だと思います。だって、弱い体質で薬がないとなかなか改善しない生育だと、味ものってこないはずです。そういう状況で無農薬といっても、品質が低いなら作物としての価値は損なわれます。
我慢して農薬を使わないことは、重きを置く場所が違うとおもいます。作物が元気に育つ、そういう生育環境を整えるのが、もっとも大事な百姓仕事だと考えています。
私の思い、伝わっているでしょうか。

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作物を育てるということ。

私(サイト運営者)が、百姓道を歩み始めたのは去年。ご縁をいただいてトマトを栽培することになったのですが、プランターで栽培したことはあっても、 本格的に栽培するのは初めてで、植え方は?元肥や追肥は?水遣りは?、すべてが手探りでした。このときは気づかなかったのですが、元肥をどのくらい与えるか、それは作物の生育を人がコントロールしている考えであることに、ある出来事がきっかけで気づくことができました。
植物にとって、最も大事な仕事は丈夫な子孫、種を残すことにあります。そのためには、植物自身の判断で養分や水を吸収して育つことが必要だと考えています。つまり、植物にとって養分や水が過不足なく土の中にあって必要な時に必要な分を吸収すれば、おのずと美味しくなり、免疫力が高まって病気にかかり難い体質になると思います。その環境を作り上げていく手伝いをすることが百姓仕事であり、作物を栽培するということではないでしょうか。
肥料の量を計算して与えるという考えは、人が理想とする生育の姿をイメージし、そのイメージに近づけるために作物の生育を人が調整して、目標とする収量を収穫するため。作物の生育を完全にコントロールすることができれば、可能なのかもしれません。しかし、そのためには作物が発するサインを見落とすことなくキャッチし、異常にならないように事前に手当てする必要があります。それははるかに高い技術が求められ、修得に何十年という時間と経験の積み重ねの上に成り立つ話でしょう。いや、コントロールできると考えないほうが自然ではないでしょうか。これを読んで下さっている方も、誰か他人に己の人生をコントロールされたらどう思いますか。作物だって、同じ気持ちのように思います。
それよりも、作物自身が自分の力で育つほうが喜ぶだろうと思うのです。
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